2013年3月8日金曜日

3/7 3月家計簿/「母さんが~」/とか

先生から電話があってパスポートを作っとけなど。
もう逃げられないね。

昼過ぎからウエイトに。
72,5をしたが、上のほうで。
胸までは65くらい…?

3月家計簿作る。

https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0AgTfuESUkoMZdHdJQmk5RTFCX2hJZGZRRTZGaUNEdGc#gid=0

2月とは違って、先に予算を出しておいた。
それに合わせていければと思う。

食費は1日1500円に抑える。
一週間で10500(3月は46500)
今週は700円オーバー まあいいほうか…?

ところで今月自由に使えるお金が3466円しかない。
(つうか借金もあるから…)
どうやりくりするか。

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水曜書いていた「母さんがどんなに僕を嫌いでも」読んだ。

いちおうフィードバック。

前半からなみだ目は、まあそうだろうとは思っていたが、後半に入り、見開くごとにフラッシュバック。
だが、最後になるにつれて「この人はこの人だな」と思って、まあ。

最後は「いい話」だったからだ。

僕はどうなるのか。

母親のことは、憎い部分はある。
しかし、それは、表面化してきたのは、これまでの人生の半ばより後になってのことで、それまでは、愛憎の「愛」の部分だけがことさらに出ていた。

どちらも、正しいのだと思うよ。

憎みきらなければ、愛しきらなければ、赦しの地平などへはない。
それが、「正しい」のか、ゴールなのかも知らないけれど。


思ったのは、前半の「僕は戦うんだ(自分の成育から身についてしまったネガティブ、コンプレックスから)」という部分。
チャレンジ。
そうだよね、どんなことも、「これは自分は不幸…(変わりたい!)」と思うなら、「戦おう!」と決心する動きがあって、はじめて、何かのスタートラインには立てる。

本当に変わりたいか?
変わりたいと思うまで、来たか?
戦って、傷つくかもしれないけど、それでも、変わりたいか?


やはりそういうとこは一番いいなと思う。


愛されたい。
だけど、それをもういない人に求めるのではなく、もう一度!(今度は愛そう)の前にあるとするなら…
そうでない世界に対して、まず挑戦してみるのも先かもしれない。
試合には、段階があるけど。
試合それ自体、こわいかもしれないけれど。

変わりたい。
幸せになりたい。
自分だって…!
この人生のフィールド、舞台に立ちたい!と思うならば…

挑戦して、「戦って」、恥をかいたって、いいのかもしれないよね。


歌川たいじさん、ありがとうございました。

http://www.youtube.com/watch?v=2rzYAQvopU4 (PV)

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