2013年3月14日木曜日

※ベーコン展 

整理するために、日記でもなく書く。
図書館から。

美女とベーコン展行った。

ベーコンは当然知っていたが、微妙に気になるとこはあったが、すごくひかれるというものではなかった。
ただ、大きな展示がやるなら、見にいっておくにこしたことはないと思っていた。

遅刻してすみませんm()m

僕は気のすむまで、身体が次にと動くまで見るような人だが
3,4枚目くらいのところの展示で(ほぼ時系列)、「この人殴られて(虐待されて)育ったんじゃないか」と思い
帰りに図書館で美術手帖見たら、やっぱりそうだった。

初期のものは、陰鬱で、身体が動けることなく、ただ心の叫びだけが、口を通して叫ばれている。

人を書くこともなく「誰か」を書く。

おそらく変わったと思ったのが、モロッコへ行ったころか、おそらく、「私の娘」と呼び可愛がってくれたバーの女店主を描いたころだと思った。
その絵だけ、人に見えた。
柔らかく、人を描きたいようだと思った。
初期で一番傑作だとは思う。
倒れた時にも何度も看護に行っていたらしい。




モロッコでは、戦地帰りの愛人と行ったところだが、もろ「地の果ての夢 タンジール」のころの世界だったろう。
色彩があくどく出てきていたが、欲望から逃げられないと思ったころなんだろう。
それ以後、「縛られた叫び」から「肉体」に転化するように感じる。

そのころから、人を描くことが多く、恋人、友人などを描いている。
肉体をねじまげながらも。
展示では「物語性を付与しない」だとか理屈がこねられていたが、自分はこれは「関りきれない痛み」だと思った。
彼はデカダンな同性愛者で、多く人とも出会い知り合ってきたろうが、いつもどこか壁があったろう。
肉体の歪みは「関係性の中の死(断絶)」だと思った。
本当の底まで、関りきれないのだ、互いに。

彼の作品には、ときおり精液のような白い液体のようなものが、ふと、描きこまれている。
射出する愛に、先が無いとしたら、関わりの先も、ごまかしたところで絶望だろう。

最後のフロアは、70~80後半の晩年だが、このフロアはきつかった。

彼の恋人たちは、ことごとく死んできたが、色んな人が、おそらく「本当に関わりきれずに」彼の元を離れていったろう。
このフロアは「死」そのものだ。
それも、彼が死を渇望するように(自分を殺したいように)作品に投影してきているので、肉体は歪みきっている。
彼が書きたかった、人生で渇望したのは「自由」だろう。

初期、檻の中の人たちを書き、出会いと解放で、肉体と出会えたが、肉体という檻からは出られなかった。
おそらくは生涯。
本当は、自然が、絶望の果てを探すようなセックス以外の、解放された自由が、世界には存在している。
しかし、多分彼は生涯出られなかった(出ようとしなかったかもしれない。何人も死んでいった恋人たちとともにいた)
一番ひどく思ったのは、顔すらなく、肉塊そのものとなった人が、ドアのノブの鍵を、自身をはめこみ、外へ出ようともがく姿だ。
これは「死」へ向かう、などと批評が垂れていたが、おそらく
「本当の人との関わり」を求めていたように思えた。
顔すらなく、ただ痛みだけを抱えた、断絶された肉体が、窓もない部屋たちの中で。




ベーコンは、美術評価では高いだろうが、一般的に認知、受け入れられているとはいえないとは思う。
それは、ついに突破できなかったし、しようとしなかったゆえかもしれないとは思う。
自分という檻の中から。

彼を閉ざしていたのは、もちろん、肉体ではない。
それは、彼が、おそらくは描こうとして、(たぶん)生涯描くことのできなかった「心からの笑顔」という、身体の究極の脱力だろう。

心は、肉体からは離れられない。
それは、自傷行為を繰り返しまくってきた自分には自明すぎることだ。
身体を変えてまでも、自分から離れたかっただろう、自分と、出会いたかっただろう。
だが支配されることだけでは、どこまでいっても出会うこともなく、先には闇と死しかない。

身体は、戦うためにあるのだ。
身体は、愛するためにあるのだ。

初期には、父親の支配の影響からの苦しみを描き、中期には、解放願望を描いた。
しかし、後期、痛みから脱出することはできなかった。

戦えない、愛せない身体は「死んで」ゆく。
ベーコンは、晩年をかけて、それを教えてくれたように思う。

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