2014年9月27日土曜日

私と仕事

生きたい人が、仕事をする
私は、基本的に自分の人生に肯定感はほぼ無いので、普通に仕事をしていても行きづまる時がある
「生きてゆくために仕事をする」
それは家出して10年近くたった今も、身についてはいない

ほっといては自分を「生きさせなく」する(結果的に死に近づいていってしまう)
自傷行為をやめて、もう15年以上が立つが、生き方そのものの根っこの一つは、自分をゆるやかに殺してゆく人生への肯定感の無さだ

殺さないこと、死なないこと それは自明ではない
ただ空手をはじめ「殺されないこと」だけは身についた
だから、殺されることは出来ない

生より大切なもの
それは、自分の納得(プライド)と、戦闘意欲だ
そして、自分を(精神的にも)支えてきた、少なくはない人たちの行きざまだ

それは、決して「(多くから見て)幸せ」なものではない

世界は自分やそういう人たちを除外して、動いている 存在している
だからケンカを売ってきた
「殺したい」
殺すことは、自分の中で(精神的には)リミットはかかっていないことだ

この世界に、居場所を無理やり切り裂いて作る
相手が強ければ、殺意は解放してもよいのだ

そしてかばって立ち続けたいもの
誰かのために、殺意を表出してもよい

自分の人生は空虚
価値と喜びは感じられない
それでも日にちが進めというなら
既成概念を殺して犯すような、そんな明日の無いチンピラみたいな背中を丸めて進んでいくと思う

俺は死にたいんだ
進んで進みきって、燃え尽きたその果てに


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