2014年10月2日木曜日

【レン空メモ】軽度知的・発達・一部脳障害と空手

これは薄々思っていたことだが、レン空の生徒「ひきこもり」「ニート」「依存症当事者」…と呼ばれる人たちの中には、おそらくかなりの割合で「障害者」が混じっている。
発達障害、軽度知的障害、自閉症…。

自分も発達傾向があると思うし、ひきこもりという隔絶された異常な数年を過ごしていると、脳機能も変わる。

自分は専門家でもなんでもないし、名づけることに分類以外のものを持たないが、少なくとも「一般の道場にいる人」へも接し方伝え方では通じないことが多々ある。

右や左がわからない(意味としてわかっても、自分の身体とリンクしない)
「足を高く」の意味がわからない
力加減が意志でできない(認知症の場合も)
他にも言葉自体を覚えられない

「…ない」で書いてきたが、映像としてや、言葉としてとらえられない分、触ってあげたり(拳の軌道や動きを補助するなど)、「出来ている/出来ていない」の判別を他と比べて行うことができないので、(すべてに)肯定的な評価だけを行い、次第に合っている所だけをよりほめてゆくなどで変わる場合もある。

礼儀や自分の力を知る(謙虚な意味で)も、当然言葉ではダメで、身につけにくいので、こちらが規範を実際に(時には大げさに)示して、その後やらせるしかない。
(この動作なら自分より背の低い人を傷つけない等)

基本的に「〜するな」が、知的や発達の人は理解しにくいか、できない。
自閉傾向の人は言葉そのものが伝りにくい。

長々書いたが、何を言うかというと
こういう人たちについて、「メンヘラ用」「ひきこもり用」の「特別な稽古メニュー」があるのではなく、あるのは「こちらの対応」なのかもしれないとも思う。

新米の自分がそんなものをわざわざ作らなくても、武道の系譜は万人に対して開かれているのかもしれない。
もしかすると、口伝されにくかったり、寡聞で自分が知らないだけで「このように教えればさまざまな人に広く教えられる」もしくは「こういう人にはこのように教える」という教え方ノウハウが昔はあったのかもしれない。

福祉的視点から見れば今さらだろうし、子どもクラスでは発達障害が何人かいるが、なぜ今さら気づきはじめたなのかというと
一つは自分自身や他人に、「障害」というレッテルを貼るのを拒んでいたのだろうし
もう一つは、自分の未熟な指導に、怒られながらも(他の道場では受け入れられない/実際に何人か門前払いにあっている)やりたいと食いついてくる人らがいるからかもしれない


途中で消えて書き直してるので、ちょっと中途半端な文になりました。

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