2014年10月17日金曜日

前の日記の「ヘルプ」について

前の日記でフェイスブックにヘルプを出させてもらったんですけど、結局自分が意見を聞きたい(今までにはそこまで相談とかしてなかったけど、この人はいつも良いこととかを書いてるし、いいね!もしてくれるから、フォロワーの自分の苦境をどう思うだろう)という人10人くらいにだけ、出させていただきました。
ネタにもなりやしませんね。
まあ結局ギリギリだとそうそうテロヘルプもできないと思います。
だいたいの方からは返事もらったり(6,7割)しました。

思ったことは、ヘルプを出すというのは「根本的には自分で何とかする」という人しか出せないんじゃないかということです。
出したところで、返ってくるのは本当にほんの一部の「助け」だけで、自分の人生を背負ってくれるようなものは当然現れるわけはありません。
それは、出す前から、うすうすわかっていることですね。

だから 「誰かが完全に救ってくれる」という幻想が自分の中に重くあるうちはヘルプを出せないのではと思いました。
「そういうものがどこかにある」「そんなものは絶対にない」の間で揺れてしまうからです。

だから、それに耐えられない人が、テロ的な殺人のようなものや、自殺に走ってしまうのも、切ないことだなあ…とは思います。


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あと、やはり上記のような性質をもつ限り「ヘルプ」というのは、返す刃のような属性を持つと思うのです。
自死者に「ヘルプを出してくれ」って言いますけど、あれ、いざ出したら、それは自分のほうに向けていた刃を相手に持ち直しただけという鋭さを持つわけです。

だから攻撃的で無礼でもあるし、それで関係が切れる、断つ、悪くなることもあるわけです。
返す刃ですから。
ヘルプを出す相手によっては。
親しく付き合っている相手がいない自死希望者の周囲に、一足飛び、二足飛びに相手に間合いを詰めて刃をつきつけるので、拒否反応もあるわけです。

ですが、死を前にした人に、倫理も常識も礼儀も通用しないんですね。
社会から外れているので。
そういう人に、自分も外れた上で相手ができるかというのが、問われるんだろうとは思います。
無法地帯です。
死と生の狭間にいる人の世界は。

そういう人が、周りに何人もいて、先に行ってしまった人も多くいるので、自分は出しますけれどね…。

というわけで、ヘルプは多分出したほうが良いです。
ただし、誰も「全面的に生を背負ってくれる」人というのは、幸か、不幸か、いないわけです。
その荒野をどうやって進んでゆくかが問われるわけですね…。

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分析みたいですみませんね…。


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